例年、クリスマスの日が近づいてくると、TVはクリスマスケーキやご馳走・大切な人への贈り物にしたい素敵な品物のCMがふえ、特に子供たちを中心とする家族、恋人へプレゼントとする訪問地を紹介する番組が目立つようになって、華やかなお祝いムード一色である。クリスマスの本来の意味は忘れられているのではないかと、老婆心ながら思わずにいられない。キリスト教徒でない限り、楽しければそれで良い、という感じ。これが、日本に於けるクリスマスを迎える大抵の人の過ごし方。
他方、いくつかのキリスト教宗派の信者たちは、イエス・キリストが誕生して、様々な奇跡を行い、人類が神の祝福を受け、つながりを持っていることを思い起こさせる儀式を再現し、厳粛で荘厳な雰囲気を醸し出すかもしれない。
私たち人類は様々なお祝いの儀式を行いますが、それはその深い本来の意義を永く記憶に留めておきたいからだと思います。今はもう忘れ去られていますが、過ぎ越しの日の祝日も、モーゼがエジプトのファラオ統治下で奴隷になっていたユダヤ民族を奴隷状態から解放したことを記念して、長く祝日となっていたに違いありません。二千年も経つと、その本来の意味は忘れられ、お祝いと楽しみの意味だけが記憶に残り、受け継がれて行くようです。現在のクリスマスの日も同様です。
まもなく、クリスマスの日に替って、私たちを解放し、真の自由の意味を知る状態へと導く新たな啓示の日:大宣言の日が定められる。最初の頃の数百年間はその意義が明確に私たちの記憶にとどまりますが、たぶんそれを過ぎると、一部の人々を除いて、現在のクリスマスの日と同じように、楽しいお祝いの日という記憶だけが継続されるでしょう。仏教で言う釈尊が生まれてから五百年毎に、“正法の時代、像法の時代、末法の時代”と呼ばれていることからもそのことが想像されます。
私の言いたいことは、もう一度クリスマスの深い意味について考えてみたいということです。
クリスマスの意味
2019年12月21日 · コメント(0) · 日記
タグ : 大宣言
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