BC著/石川道子訳/シェア・ジャパン出版「いのちの水を
運ぶ者」はマイトレーヤからのメッセージをBCがメンタ
ルテレパシーで受け取り、筆記したものと説明されてい
る。上の表題はその中の第10信の中の言葉であるが、
抽象的で理解しにくい。私はその言葉が伝えようとして
いることを理解しようと悩んだことがあります。結局の
ところ、神智学が教えているように、神さまの分光であ
る閃光が私たちの頭頂チャクラとなっている如く、マイ
トレーヤは光の存在となって、私たちのハートセンター
となっているのだと、シンプルに考えることにした。
そして、私は自分のハートが震え、感動して熱いものが
流れるように感じた時には、主が私のハートの中に住ん
でおられる、と思うことにしました。
二千年前にはキリストは新約聖書に述べられているよ
うに、愛の四つの形を私たちに示された。その四つの形
とは、DK覚者によると、一番目はキリスト教で言われて
いる黄金法則:「あなたが自分にして欲しいと思うこと
を相手にしてあげなさい」(マタイ伝7章12節)。隣
人愛と言い変えることができるかもしれない。分かち合
いは愛の表現です。二番目は敵対する者への愛です。敵
対する者への愛とは、「左の頬を打たれたら、右の頬を
差し出しなさい」(福音書マタイ5章39節)という句
で示される愛です。第三番目の愛は、「コース・イン・
ミラクルズ」に取り上げられている“許しのテクニック
”のことです。イエスは十字架に架けられて脇腹を槍で
つかれますが、その刑罰に関わったローマ兵たちを恨む
ことはしませんでした。”主よ、彼らを許したまえ。
彼らは何も知らないのです”と神に祈りました。第四番
目の愛の形はDK覚者がアリス・ベイリーを介して伝えた
「秘教治療」に示されている遠隔治療とも想念治療とも
よばれている治療テクニックです。イエスはローマ兵の
百卒長に依頼されてみことばだけでローマ兵の使用人の
病いを治療したことが、聖書に書かれてあります。
“・・・わたしは門口に立つ見知らぬ者なり、
扉をたたく“者なり、
いつまでも立ち去らぬ者なり、
わたしはあなたがたの友である
わたしはあなたがたの希望である。
わたしはあなたがたの楯である。
わたしはあなたがたの愛である。
わたしはすべてである・・・“
(メッセージ第10信より)
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