就職難の時期、とにかく正社員として採用されるなら、自分が学んできた専門知識は必要でない仕事を選ばざるを得なかった。私はその時期に人生の目的を失っていた。毎日の生活が苦痛ではないとしても、ただ機械的に反復される一つの歯車のような人生を送っていた。チャップリンの「モダンタイムズ」を思わせるものだった。目的がないに等しい人生だった。
若い人々がオリンピックに出て、“金メダルを取る“という目的を建てて、日々激しい練習に励んでいる姿をTVで知ると、若くしてはっきりした目標を持って生きている人の人生はなんと充実していることかと思う。私たちはスポーツ選手たちの姿から、人生に目的があることの大切さとその意味を知る。そしてこの真理を痛感できたのは、自分が望む仕事に就くことができなかったから。考えてみると、このような人生を過ごすことになったのも、神さまから見たら”神の目的“の一部だったのかも知れない。
今は私たちがこの物質界で過ごすのは、きっと目的(大目的と言っていい)があるからだと確信している。「いのちの水を運ぶ者」から、目的についてのメッセージを引用しよう。
“・・・わたしの目的は、
わたしが世界に存在することを
出来る限り早く人々に知らせて、
そしてわたしの任務を公に始めることである・・・“
(メッセージ第5信より)
“・・・この挑戦を受けて立ち、
あなたの人生の目的を果たしなさい。
・・・
さあ、今、奉仕し成長するこの機会を選び取りなさい、
・・・“(メッセージ第14信より)
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