最近新しく購入したスマートフォンに定期的に送くられてくるスマートニュースの動画を観ていたら、視聴者のコメントが寄せられていることに気づいた。中国大陸南部に降った大雨で長江流域や黄河流域などに河川の氾濫が起き、流域の大都市の住民が逃げ遅れ、泥水にまみれながら必死に救助を求めている様子を映した動画が公開されていて、その動画を見た視聴者からのコメントだった。そのコメントの多くは“一党独裁の中国共産党に支配されている住民は、大災害に見舞われても仕方がない”、というような被災者たちに同情を寄せるのでなく、因果応報のこと、というようなものでした。
それはさておき、長江のような大河が氾濫して洪水を起こすとは、驚きを禁じ得ない。異常気象による大雨の被害は日本だけではない。世界的出来事なのだ。時代の変わり目毎の自然災害は、新約聖書の黙示録とイエス・キリストの弟子たちへの説教に述べられているが、似非オカルティストたちが「ハルマゲドンの出来事」としてセンセイショナルに取り上げたので、宗教そのものが疎んじられるようになった。
日本の視聴者のコメントを読んで、私は考えこんでしまった。BCの著作に「多様性の中の和合」という本がありますが、コメントから感じられるのは、自分たちと異質の人達に対する優越感とか排斥するような感情だった。“類は友を呼ぶ”という言葉は真理を述べたものだ。
中国の洪水
2020年07月30日 · コメント(0) · 日記
タグ : 多様性
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