タイトルは、聖書に書かれている言葉。私たちは世界史の教科書で人類の歴史がキリストの誕生を境にして、大きな文明の分岐点が作られていることを知っている。中世の前の時代までは、神学があらゆる学問の頂点となっていて、全人類が星々との結びつきと神々との結びつきを信じ、事あるごとに祈りを欠かすことはなかった。キリスト教が栄え、教皇を頂点とする権威の組織団体が作られ、やがて教皇の無誤謬性とか免罪符といったことをきっかけに宗教改革がはじまり、キリスト教世界は暗黒の中世時代へと動いていった。18世紀に入り、盲目的に権威者に従わず、経験したことに基づいて批判的に客観的に物事を観察して、事実を重視する科学的見方が勃興し、唯物科学が盛んになり、人々は神の存在さえ否定するようになった。
唯物科学的考え方は、科学的大発見の増大とともに、広く普及し、宗教界の血生臭い争いに嫌悪感を抱いた人々はこぞって宗教意識を失い、唯物科学の信奉者となっていった。
しかし、歴史を学べば、苦境に立ち、解放を願う人類の求めに応じてキリストが二千年毎に神のスポークスマンとして、再臨していたことが分かる。
Covit19による感染症の拡大と異常気象による河川の氾濫という大災害に見舞われても、人々は救いを求めて、キリストを捜そうとしない。キリストの再臨を訴え続けているグループがいるのに。
“もとめよ、さらば与えられん”だ。
「求めよ、さらば与えられん」
2020年07月31日 · コメント(0) · 日記
タグ : スポークスマン
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