信の力は時には私たちの想像を超える偉大な奇跡的力 を発揮する。新約聖書の中で述べられているイエス覚者 の超自然的奇跡はもちろん私たちが模倣してもできるこ とでないと考えられる。しかし、イエス覚者はこうも言 っている。“芥子粒ほどの信仰があれば、あの山に向か いて、向こうに移れと言えば、山は移るであろう”と。 かつて社会党の党首となった女性の土井氏が“山が動い た”と社会党が大躍進したときに叫んだ。 信仰心もしくは信念の驚くべき力で思い出すことは、 日本史で戦国時代武士たちは天皇を味方につけることに 心を砕いた、兵士の数が劣勢であっても、錦の御旗を掲 げると、朝廷側の兵士たちは圧倒する敵側の兵士の人数 に怖れを抱かず、少ない兵士の数で、勇猛に闘う。正義 が勝つという信念で戦うのである。 奈良の東大寺の大仏は聖武天皇が戦に明け暮れて疲弊 し、疫病が蔓延していた国土を仏教の力で平安を取り戻 すことを願って国策として大仏を建立することを思いた ったと学びました。 私の述べたいことは、人は目に見えないとしても、大 いなる霊的存在の保護を信ずるとき、疫病をも退散させ ることができるということ。 先ごろNHKが行ったアンケート調査によると、新型 コロナの感染症に自分は決して罹ることはない、と信じ ている人は2パーセント程だそうだ。それらの人達がそ の信念がどこから来ているのか知りたいと思ったことで した。唯物科学的思考が潮流となっている今、科学的根 拠はないに違いない。 明日は信念の魔術的力について の続きです。
コメント (0)
コメントはまだありません。