先日、“ものの名前が類似したものを想起させる”と いうダジャレのような考え方でマインドに印象づけて、 望む事態を現実化するという“祈りの方法”が日本では よく行われる。例えば、“コアラの糞”を受験生に受験 で失敗して“おちない”ように、お守りとして、受験生 に売り出したところ、それがとぶように売れたというニ ュースがあった。コアラは木につかまって生活し木から “オチナイ”からである。その他山岳鉄道のレールと車 輪の間に敷く“すな”を少しずつお守り袋に入れたもの も受験生によく売れたようである。“滑り止め”として 評判になった。 その他、ある神社の境内には、“足をかたどった木“ が山と積み上げられている祠がある。そのおもちゃのよ うな木は、足の悪い庶民が奉納したものである。足の悪 い人は、そのような木を作り、霊験あらたかな、そこの 神社の神様に治療をおねがいして、足がなおったしるし とお礼の意味で、足の形に似た木のおもちゃを祠に奉納 する。これらは自分のマインドに“望む状態を目に見え るもので象徴”し、印象づける工夫である。 ノミの市という商売人向けの行事が毎年歳の暮れに開 催される。売り出されるものの中に、熊手・みの・福助 のお面など“金運護符”を意味する様々な飾りものを集 めたものが売られる。これらの飾り物を商売人は“縁起 を担いで“毎年買い求める人でにぎわっている。これだ け続いているということは、その縁起担ぎに効果がある ことが庶民によく知られているということである。 この行事も飾りものが金運を想起させるので、“儲か って、お金が集まり、豊かになるという信念”を形成す るのに役立っている。 ノミの市で見られる飾り物も”祈り“の一種で、私た ちの“マインドの信念“は、形成される。 ^
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