お相撲の大栄翔関のインタビューでの言葉は私の“登山 のこと”やイニシエーションのこと、マイトレーヤから のメッセージの言葉を思い出させた。 マイトレーヤからのメッセージには次のように述べら れている。 “・・・知っての通り、方法は単純である。 前進への道は険しいが、登ることは可能である。 登り径には道標が置かれている。 その径の曲がり角ごとに、わたしの覚者たちがあなたが たを案内し、 そして次のステップを示すであろう。 あなたがたの両手を、わたしに差し出しなさい、我が友 よ。 あなたがたを光の中にもちあげてあげよう。 その光に向けて頭(かしら)をあげなさい、我が兄弟よ 。 あなたがたに神の御観(みかお)を見せてあげよう。 神の聖なる足下にわたしと共にひざまずきなさい、 そして真理と交わることの喜びを知りなさい。・・・“ (メッセージ第88信より) 一歩々々山を登って行くのは、登山に似ていて、これ までに私の人生で登ったことのある山の多くの光景を思 い起こさせた。 楽しくもあったが、苦しい思いもあった。今は難病で 苦しい思いばかりである。そんな中で、積極的な考えを 維持し、病気で苦しんでいる人々と共振するというか、 彼らの狂しい情況を理解することが、この人生で私に与 えられた課題だったのだということが分かった。
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