末期がんを宣告された患者さんのために、「ホワイト・マジック 規則11」にある、「死からの解放」の記事をお勧めします。
死 か ら の 解 放(1)
現在の我々のテーマは死という過程を通しての肉体性質からの救済である。
この救済の意味を学習しようとする時、二つのことを心に銘記しなければな
らない。即ち、
第一に、肉体性質という言葉によって、私は統合されたパーソナリティ、つまり肉体と活力体=エーテル体と欲望性質の要質(即ち存在様式)とマインドスタッフを意味する。これらは化身した魂の鞘、即ち、外的形態を構成している。意識の様相は時には一方に、又時には他方に集中したりする、つまり、形態と同一化したり、魂と同一化したりする。
第二に、この救済は我々が「死」と呼ぶ神秘的経験についての正しい理解を通してもたらされる。これが我々のテーマとなるはずである。そしてテーマは非常に広大であるので、私は志向者がそれに沿って考えられる或る線を示し、彼が後に細部を自分で骨を折りつつ仕上げることができる或る前提を示すことができるだけである。我々は主に肉体の死に限定して論ずるだろう。
まず最初に、全ての形態がそれを免れず、そしてしばしば恐れられている−理解されていないがために恐れられている−終末としか考えられていないこの神秘的過程を定義しよう。人のマインドは余り発達していないため、未知のものへの恐怖、慣れ親しまないものへの脅威、そして形態への執着によって、化身する魂の生涯周期の中で最も有益な出来事の一つが、避けるべきもの、可能な限り延期されるべき何かであると見なされる状況がもたらされてきた。
死はもし私達がそれを理解しさえすれば、我々の最も実践された活動の一つである。我々は何度も死んできたし、これからも何度も死ぬだろう。死は本質的に意識の問題である。我々は或る一瞬には物質界で意識的となり、一瞬後には別の界へとひきさがり、そこで活発に意識的となっている。我々の意識が形態様相と一体化している限り、死は我々にとってその古代からの恐怖を保持するだろう。我々が自分を魂であると知り、我々は意のままに意識即ち知覚感覚をいずれかの形態やいずれかの界に集中させることができ、神の形態内におけるいずれの方向においても集中させることができることを発見するや否や、我々はもはや死を知ることはない。
平均的な人にとっての死は大変動の終末であり、全ての人間関係の終了、全ての肉体活動の停止、愛と慈愛の全ての徴の断絶、そして(不承不承の、抵抗しながらの)未知の世界、恐怖の世界への移行を意味している。それは我々の愛する人々が集まっている明かりの点いた暖かく慣れ親しんだ部屋を去るのに似ている。そして最善のものは何も期待せず、何一つ確信せずに、一人で恐怖に襲われつつ、寒くて暗い夜の中に入って行くのに似ている。
しかし、人々は毎夜眠りの時、物質界で死に他の場所で生きて活動しているということを忘れがちである。人々は容易に肉体から抜け出る能力を既に獲得しているということを忘れている。なぜなら、彼らは肉体からぬけ出たこと、その後の活動的生活の休止期間についての記憶を肉体頭脳意識の中に持ち帰ることがまだできるようになっていないので、死と睡眠を結びつけることができない。結局、死は物質界活動の生活におけるより長い休止期間にすぎない。人はより長い期間、「外国に行ってしまった」だけである。しかし、毎日の眠りとときたまの死の過程は、次のような一つの違いはあるが、同じものである。即ち、眠りにおいては、それに沿って生命フォースが流れる磁力の糸、即ち、エネルギー流は切られずに保持されており、肉体へ戻る帰り道となっている。死においては、この生命の糸は壊され、切断される。これが起こった時、意識的実在は濃密な肉体に戻ることができず、凝集原理を欠いて崩壊する。
魂の目的と意志、存在し行動する霊的決意が形態への表現手段として魂の糸であるストラトマ即ち生命流を利用する。この生命流は肉体に達すると二つの流れ、即ち、二つの糸に分かれる。そして、もしこういう表現の仕方が許されるとすれば、肉体の二ケ所に「錨を降ろす」。これは霊であるアートマがその二つの反映である魂と体へと分離することを象徴している。魂、即ち、人を理性的で思考する実在となす意識様相は、この魂の糸の一つの様相によって、松果腺の部位にある脳の「座」に「錨を降ろす」。肉体の全ての原子を活性化し、凝集と統合原理を構成する生命のもう一つの様相は、心臓への道を辿り、そこに焦点化される、即ち、「錨を降ろす」。これら二つの点から霊人は機能を統御しようとする。かくして物質界での機能に座を置く魂は、人を知的で理性的実在となし、自意識を持ち、自己指向性を持つ存在とする。彼は進化段階に応じ、そして、その結果として機構の発達に応じて、彼が生きている世界について様々な段階で認識する。その機構は表現において三重である。まず、第一にナジスと七つのフォース・センター(力の中心)があり、次に三つの区分を持つ神経系、即ち、脳脊髄系、交感神経系、末梢神経系がある。そして次に内分泌系があり、それは最も濃密な様相、即ち、他の二つの外的表現とみなすことができよう。
魂はハートに座し、生命原理、自己決定の原理、それによって体の全ての原子が正しい位置に保持され、魂の「存在せんとする意志」に従うという、積極的エネルギーの中心核となっている。この生命原理は、その表現様式として、又、その統御の代理人として血液流を用い、そして内分泌系と血液流の密接な関係を通して我々は人を魂に支配されて、日常生活の全ての活動において魂の目的を表現しつつ、意識を持ち機能する実在となすために統合される魂の二つの様相を持つ。
死はそれゆえ、心臓と頭からこれら二つのエネルギーの流れを文字通り引き上げることであり、その結果、完全な意識の喪失と肉体の分解を生み出す。死は眠りと異なっているのは、エネルギーの両方の流れが引き上げられるという点である。眠りにおいては、頭脳に錨を降ろしているエネルギーの糸だけが引き上げられる。そしてこれが起こった時、人は無意識となる。これによって我々は彼の意識、即ち、認識の感覚がどこか他の場所に焦点化されているということを意味する。彼の注目はもはや触知できる物質界のものには向けられておらず、別の存在世界へと向けられ、別の器官即ち機構に集中するようになる。死においては、両方の糸が引き上げられ、生命の糸の中に統一される。活力は血液流という媒体を通って侵入することを停止し、心臓は機能せず、脳も記録しない。かくして沈黙が鎮座する。家は空っぽとなる。活動は物質それ自体の特権であり、分解の過程において表現される、驚くべき瞬発的活動を除けば停止する。それゆえ、いくつかの様相から見るとその過程は人が物質である全てのものと統一されていることを示している。そのことは人が自然そのものの一部であることを示しており、自然という言葉によって我々はその中で「生き動き存在を持つ」一なる生命の体を意味する。それら三つの言葉−生き動き存在する−の中に我々は全ての経緯を物語る。存在することは、認識と自意識と自己表現であり、人間の頭と頭脳はこれの顕教的象徴である。生きることはエネルギーであり、形態中の欲望であり、観念への固執と執着であって、心臓と血液はこれの顕教的象徴である。動くことは存在し、認識し、生きている実在の普遍的活動への統合と反応を示していて、胃と膵臓と肝臓はこれの象徴である。
Bradley // 2017年03月28日 3:32 AM
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