秘教日記

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新しい時代に人は大いなる目的を持つ。人類がイニシエーションの 道を発見し、それを辿ることになるということを、ハイラーキーは 予言しています。エベレスト登頂を成し遂げた人々が出現したことは、 ハイラーキーの予言が正しく実現される証しです。世界最高峰登頂の 出来事は、イニシエーション達成の予兆となっています。

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死からの解放(2)

2010年03月05日 · コメント(3) · 未分類

「死からの解放」の続きです。

 今のテーマに関連したことで、精神薄弱と白痴の場合と、我々が老衰と呼ぶ老年の段階において、脳に錨を降ろしている糸は引き上げられるが、他方生命衝動、即ち、生命の促しを運ぶものは心臓に錨を降ろしたままであるということを覚えておくと興味深い。生命があるが、知的な認識はない。活動はあるが、知的な方向性はない。老衰の場合には高度な知的器官が存在していた場合には知的機能の外観はあるかもしれないが、それは古い習慣と過去に確立されたリズムに基づく幻影であり、統合され首尾一貫した目的を持つ場合の知的活動のせいではない。
 それゆえ、死は人がいかにそれに気付かないとしてもエゴの指図のもとに企てられるということにも注意しなければならない。大多数の人々においてその過程は自動的に働く。というのは魂がその注目を引き上げる時、物質界での必然的反応は死である。それは生命エネルギーと理性のエネルギーという、二重の糸の抽出によってか、知性によって特徴づけられているエネルギーの糸を抽出し、生命の流れは心臓を通して依然として機能するままであるが、理知的認識はないという方法によるかいずれかでなされる。魂は別の場所に移り、自分の界でそれ自身の仕事に従事する。
 高く進歩した人の場合、死期についての予知がしばしば見出される。これはエゴの接触とエゴの願望の認識に付随している。それは時には引き上げの最終的瞬間に至るまでの自己決定性を保持することと対となっていて、死ぬ日そのものについての知識を含んでいる。イニシェートの場合には、これ以上のものがある。抽出の法則についての理知的理解があり、これによって移行を行いつつある人は意識的にかつ完全に覚醒した状態で肉体を抜け出してアストラル界で機能することが可能となる。これは意識の連続性の保持を含んでいて、その結果、物質界での認識感覚と、死後の状態での認識感覚の間に隙間が存在しない。その人は自分が以前のままであると知る。もっともそれによって物質界に接触することができる器官は持っていない。彼は自分が愛する人々の感情の状態と思考を依然として認識するが、濃密な肉体の乗り船を感知し接触することはできない。彼はアストラル界場で通信し、もし彼らと彼がつながっている(ラポート)状態にあるなら、マインドを通してテレパシー的に通信することができる。しかし、肉体の五感の使用を含む通信は必然的に彼の手の届く所にはない。しかしながら、彼は肉体の持つハンディキャップ(障害)を免れているので、アストラル的メンタル的には相互作用は以前よりも密接でより敏感となることができるということを覚えておくことは役に立つ。しかしながら二つのことがこの相互作用に妨害的に働く。一つは残された人々の悲しみと激しい感情的動揺であり、そして平均的な人の場合には、もう一つはその人が自分にとって新しい状況に直面するので、彼自身の無知と狼狽である。もっとも、もし彼がそれを理解することさえできれば、それらは実際には馴染んできた状態である。死後の世界は幻覚や病的興奮に基づくものでも、平均的霊媒の(しばしば非理性的な)結論に基づくものでもない。平均的霊媒は(彼自身か同席している人々の集団によって建造された)想念形態のコントロール下で話しをする。ひとたび人々が死の恐怖を無くし、その死後の世界についての理解を確立したなら、我々は死の過程を適切にコントロールさせるだろう。後に残される人々の状態は、関係の喪失やエネルギーの誤用がないように注意深く取り扱われるだろう。
 人々を化身へと入らせられる科学的方法と、人々が化身の外へと案内される完全に盲目的でしばしば脅えさせられ、そして確実に無知な方法の間には今や大きな違いが存在している。私は今日西洋において死の過程を取り扱う、より新しいより科学的な方法へと通じる扉を開けようと努める。私の述べることを完全に明白なものにしよう。私が言わなければならないことは、痛みの軽減方法とその技術とを備え持つ現代医学を廃するものではない。私が主張することは全て健全な死の方法である。私がヒントを与えようと努める全てのことは、苦痛が尽き、弱体化が引き続き起こった時、死につつある人はたとえ表面的には無意識であっても、大移行の準備をすることが許される、ということである。苦痛を生み出すためには強さと神経器官への強い執着が必要であることを忘れてはならない。死の行為が勝利の終幕となる時を予想することは不可能であろうか。死の床に就いて過ごす時は、意識的脱出を行う栄光の序曲に過ぎないものとなる時を見通すことは不可能であろうか。人は肉体の鞘という障害を放棄する運命にあるという事実は、彼と彼の周囲にいる人々にとって、長い間待ち望まれた喜ばしい達成の時となることを見通すことは不可能であろうか。涙と恐れ、そして避けがたいことではあるがそのことを認めたくないという拒む態度ではなく、死に行く人と彼の友人達がともに今は幸福そのものであると認め合うような時代がやってくると期待することはできないであろうか。そして残された人々の心(マインド)の中には悲しみの思いは入りこまず、死の床は誕生と結婚よりも幸福な機会であると見なされるような時を。非常にまもなく、種族の知的な人々にとって、これが完全にそのようになり、少しずつ全ての人々に普及して行くこと、ハートの中の確信として、マインドの中に観念として、永遠の存在についての信念という事実の中に確かな徴が存在している。しかし、次の百年が過ぎ去る前に徴は確信と知識にとってかわられよう。というのは一つの事件が起こり、希望を確実性へ、信仰を知識へと変える啓示が人類に与えられるからである。その間に死に対する新しい態度を涵養し、新しい死の科学を開始させよう。死は我々が統御することのできない、そして必然的に我々を打ち負かすものであることをストップさせ、我々が彼岸へと移る過程を統御し、移行の技術をいくらかでも理解し始めよう。
 この問題をより詳細に取り上げる前には、私は「頭の中のくもの巣状のもの」について言及しておきたい。これは大多数の人々にとって手つかずの状態にあるが、啓明された予言者にとっては存在しない。
 御存知のように、人体中には肉体の対応物、肉体の基礎となっていて、肉体に浸透している活力体があり、それは肉体よりも大きく我々はそれをエーテル体とかエーテル複体とか呼んでいる。それはエネルギーの体で、フォースセンターとナジスと力の糸とによって構成されている。これらは神経器官−−即ち、神経と神経節−−の基礎、即ち、その対応物である。人のエーテル体の二ケ所に生命フォースの出口の穴がある。一つの窓は太陽叢の中にあり、他の一つは頭脳の頭頂部にある。両方を保護しているのは、生命エネルギーの互いに交錯する糸で構成されたエーテル質料の細かく織られた網である。
 死の過程の間、その網を打ち続ける生命エネルギーの圧力によって、遂には穴開け即ち開口部が生み出される。ここから魂の抽出の影響力が増すにつれて、生命フォースが流れ出る。動物と子供と、完全に肉体やアストラル体に偏極している男女の場合には、出口は太陽叢であり、クモの巣状の網に穴が開けられ、かくして出立が可能となる。理知的タイプ、即ち、より高度に進化した人間単位の場合には、破られるのは頭の頂上の領域にあるクモの巣であり、かくして思考する理性的存在の出立が可能となる。
 サイキック(低級霊能)において、そして霊媒と低級な予言者(透視能力と透聴能力を持つ人々)の場合においては、太陽叢をおおうクモの巣状のものは人生の初期において永遠に破れている。そして彼らは容易に肉体に入ったり出たりし、所謂トランス状態に入って、アストラル界で機能する。しかしこれらのタイプの人々は意識の連続性はなく、彼らの物質界での存在と彼らがトランス状態に入って語る出来事との間には何らの関係もないように思われる。それらの出来事は、意識が目覚めている状態では彼らは通常は全く認識できないものである。全ての活動は横隔膜下のものであり、主として動物的感覚生活に関係している。意識的透視の場合と高級サイキックと予言者の仕事においては、トランス状態や憑依や霊媒性質はない。破裂しているのは頭の中にあるクモの巣状の網で、その箇所の開口によって、光と情報とインスピレーション(天啓)の流入が可能となる。それは又、動物性質のトランス状態の霊的対応であるサマーディの状態に移行する能力を授ける。
 死の過程においては、従って、これら二つの主要な出口が存在する。アストラル的に偏極している人々と、肉体的に偏極している人々、従って大多数の人々にとっては太陽叢であり、メンタル的に偏極し霊的指向性を持つ人々にとっては頭中心である。これは覚えておくべき最初の最も重要な事実である。そして生活傾向の動向と生活の注目の焦点が死に際して脱出方法を決定するということが容易に知られるだろう。そしてアストラル生活と感情性質を統御し、自我をメンタルの世界や霊的なことに向けようとする努力は、死の過程の現象的様相に重要な影響力を持つということも見ることができる。
 もし学徒が明確に考えているなら、一方の出口は霊的で高度に進化した人に関係し、他の出口はほとんど動物段階を越えていない低い段階の人に関係しているということが学徒には明らかとなるだろう。では平均的な人についてはどうか。現在第三の出口が一時的に使用されている。心臓の頂点の真下にもう一つのエーテルの網が出口の穴を覆っていることが発見される。それゆえ、次のような状況を持つことになる。

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