秘教日記

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新しい時代に人は大いなる目的を持つ。人類がイニシエーションの 道を発見し、それを辿ることになるということを、ハイラーキーは 予言しています。エベレスト登頂を成し遂げた人々が出現したことは、 ハイラーキーの予言が正しく実現される証しです。世界最高峰登頂の 出来事は、イニシエーション達成の予兆となっています。

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死について(1)

2010年06月22日 · コメント(0) · 未分類

現在の死に対する態度
               
 私はあなた方とともに死の過程をとりあげ、死の要因に少し詳しく考察してきた。それは(もし肉体脳がそれを思い出し理解することができるなら)再生権化する実在である魂の生涯において、最も慣れ親しんでいる経験である。「復元」という経験に対する人々の態度についてコメントしよう。これは主としてイニシェートが死について語るとき、彼によって用いられる独特の秘教的言葉である。死と結びついている際立った態度は恐れである。この恐れは(現在の所は)不死の事実についてのメンタル的確信のないところに基づいている。心霊主義的研究グループによって確立された、ある種の生存形態についての証明された事実を越えて、私たちが「私」という言葉を使って話しをする時に通常意味している存在の不死性とか永遠の命は、これまでのところ願望的思考または信仰の類のままである。この信仰はキリスト教の教え、物事を合理的に考えるということに基礎を置く宗教的断言に基礎をおいている。そして経済的必然性から考えて、非常に長い間進化してきて、進化過程のうわすみとなっているものが失われるということはありえないという、もっと科学的なアプローチに基づいている。この惑星上では人間王国よりも高い進化を遂げた王国が存在しているという証拠が存在していないということに注目すると興味深い。唯物主義的思想家にとってさえ、人間のユニークさがその様々な意識レベルにおいて、そして無学の未開人からあらゆる中間的メンタル能力を経て、創造的芸術と科学的発見と霊的知覚能力を持つ最も進化した思想家たちと天才たちに至るまでの意識レベルを探究対象とすることのできる能力の中に見出すことができる。
 簡単に言えば、死のテーマが引き起こす疑問は、次のようなものである。「私」という存在は一体何処になるのか? 肉体が捨てられ、そして崩壊した時には、その肉体を占拠する者は何処へいくのか? 結局のところ、肉体を占拠している居住者は存在しているのであろうか?
 人類の歴史はこの問題の確証を求め、絶えざる探究を記録している。この探究は今日多くのグループを形成することで最高点に達している。彼らは不死性の証明し、物質界という舞台で俳優となってきた「私」に、明らかに奥の院を提供している霊の聖所に侵入しようと試みている。しかしその聖所はこれまでのところ最も熱心な探究者でさえ拒んできた。この狂信的探究の背景には恐怖が動機となっている。神降しという通常はいかがわしい降霊界に参加する大多数の人々(少数の啓蒙された科学者たちと同様の知的研究者たちを別として)は、情緒タイプの人々であって、信じやすく、もっと知的な研究者であれば直ちに否定するようなことを、証拠としてあまりにも容易に受入れる。
 過去において、生命存続の事実を証明するために頻繁に行われてきた心霊主義運動、そして、この運動はある段階においては、人類を誤った方向に導き、人類を騙すことにおおいに貢献したが、これに関しての私の立場を明確にしよう。この一般的な呼称の下に、私は様々な心霊研究グループを含めもするが、真面目な科学的研究グループは除きたい。これらのグループの一つとして、彼らの立場を証明したものはこれまで一つもない。平均的降霊会の神秘と愚かしさ、そして霊媒の仕事は、その説明しがたい要因の存在を決して示したことはない。科学的研究者の実験室さえもそれを証明したことはない。死去した人が明らかに受け入れられる形で現れたすべてのケースでは、(亡くなったばかりの人ではなく、以前に亡くなった人との)テレパシー的つながり、透視能力者による想念形態を見ること、透聴力による声を聞くこと、そしてペテン行為によっても、人々はだまされやすく、そのようなことから説明できる数多くのケースが存在している。私は物質界に戻ってきた霊の「受け入れられた形で現れる」ケースについて言及していることに注意しなさい。生命の存続を信じるにたり、それが本当であることを証明する十分な証拠は存在する。死んだと思われる人との接触という説明できない現象は注目され、調査され、証明されたという立場、そしてこれらの現象を調査する人々の性格という立場に立って、私たちは資質の永遠なる貯蔵所への「返還」を越えて何かが残るということを断言することができる。私たちはこの仮説から先に進む。

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