秘教日記

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新しい時代に人は大いなる目的を持つ。人類がイニシエーションの 道を発見し、それを辿ることになるということを、ハイラーキーは 予言しています。エベレスト登頂を成し遂げた人々が出現したことは、 ハイラーキーの予言が正しく実現される証しです。世界最高峰登頂の 出来事は、イニシエーション達成の予兆となっています。

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死について(2)

2010年06月22日 · コメント(0) · 未分類

今日死の現象はますます慣れ親しんだものとなりつつある。世界大戦によって数百万人の人々(その中には一般市民だけでなく、あらゆる国々の軍隊の様々な分野で働いている人々も含まれている)を、未知の世界に送り出し、そしてその世界は肉体を放棄した全ての人々を受け入れている。この時期、状況が次のようになっている。即ち、昔からの深く根ざした死に対する恐怖があるにもかかわらず、人間の意識の中に死よりももっと悪いものがたくさんあるという理解が芽生えつつある。戦争とそのストレスの結果、人々は飢餓、手足の切断、恒久的な身体不随意、精神的な欠陥を知るようになり、そこから解放されることのない苦痛と苦悩を見ることこそ、まことに死よりも悪い。また次のことを大勢の人々は知り信じる(それが人類の精神の栄光である)。即ち、人々がそのために戦いそして幾時代もの間死んでいき、自由な人間精神の生命に欠かすことのできないものであると見なされてきた価値観を放棄することこそ、死の過程よりも大きな意味を持つということを。この時期の敏感な人々、そして正しく考える人々の特徴であるこの態度は、大規模に出現しつつある。これは、昔からの恐怖はあるがそれと並んで、よりよい状況はどこかにあるはずだという、屈することのない希望についての認識があることを意味している。そしてこれは必ずしも願望的思考である必要はなく、潜在している主観的知識がゆっくりと表面に出てくるということを示していた。人間の苦悩と人間の思考の結果として何かが出現しつつある。今日このことが感じとられている。この事実は後に示されるだろう。この内的確信、主観的理解に対抗するものは古い思考習慣、現在の発達した唯物主義的態度、騙されることに対する恐れ、科学者と宗教人即ち教会人の両方に対する敵意である。前者は証明されていないこと、そして証拠不可能とも思われることを信じることを正しく拒んでいる。一方宗教グループと宗教組織の人々は、彼ら特有の用語で公式化していない真理の提示に信頼をおくことがない。彼らは信仰に不適切な強調を置く。かくしてあらゆる探究の熱意を削いでいる。永遠の生命という事実の発見は、人々からやってくるだろう。その時、教会はその事実を受入れ、科学によって証明されるだろう。しかしこれは戦争の余波が終わりこの惑星の混乱が鎮静化するときまではそうはならないだろう。
 死の問題は言うまでもなく人間の性質の最も深い本能である生命愛に基礎をおいている。神聖なる法則の下に何事も失われることはないという判断は科学の認識である。何らかの形態で永遠に存続しているということは、一つの真理として普遍的に掲げられている。さまざまな理論の中から次の三つの主要な解答が提案されてきた。これらは思考する人々全員によく知られている。以下の通りである。
 

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