朝の七時、八時と二時間近く座って待ったが、ついにサイババはでてこられなかった。私だけでなく、グループの人たち全員ががっかりした。私だけではないのだ、と思うと私の方はいくらか気持ちが晴れやかになった。
すべての人がサイババに恋こがれている。サイババの愛を受けようと一心に願っているのだ、と感じた。私は自分がある課題をクリアできたときが、サイババと再会できる機会であると感じた。すると、気持ちが落ち着いてきた。やや晴れやかな気分でホールを後にした。
山内さんは十二時きっかりに荷物をドアの外に出すように、昨日のミーティングの時に言っていた。ところが、私たちが帰り支度をしていて、荷作りを終えるとすぐに、腰巻き様のチェク縞の布を腰に巻いた黒人たちの一団がどっどっと部屋に入ってきて、荷物を運び出そうとする。私はそれを制して、「ノー。ノット、ナウ。レイター。」もっと後にしてくれと叫んだ。彼らは、動物的な目付きで、部屋のあちこちを物色している。私たちが後に残していくものを頂こうというわけである。どこかで私たちが出発すること聞きつけてきたのだろう。迎えのバスが建物の前に止まった時点で、察知して、ポーターの仕事を取ろうとする。動物的すばしこさで動く人たちである。山内さんに確認してから、私たちは彼らにトランクを託した。
後に残る沖縄から来た安里さんにお別れの挨拶をした。
「また、会いましょう」。
彼は急に一人だけにされるので、寂しげに「私もいっしょに帰りたくなった」と言っていた。彼と名刺を交換して、再会を約束して、階下に降りた。今では大声で言うことができる。
「サイラム」。
これは、いつも守衛のお仕事御苦労さんです、という意味である。鼻の下にチョビ髭をつけた、中年のインド人も手を合わせて、「サイラム」と応えてくれた。それは、
「またおいでください」という意味であろう。
部屋から出る時に、滞在中の生活から出たゴミをまとめてビニール袋にいれて、建物の前に設置してあるドラム缶の中に捨てた。バスの座席に体を沈めて、出発を待っていると、私たちが捨てたそのゴミの袋を黒人のポーターたちが開いて、その中から利用できそうなものがないか物色しているのを目にした。彼らの御陰で、全てのものが無駄なく、徹底的に利用されるのだ、と私は思い巡らしていた。ミネラル・ウォータを詰めたペットボトルを潰さずに、そのままゴミ袋に詰め込んだのは失敗であった。黒人のポーターたちの脇で、一人の活動的な中年の白人女性が、私たちが捨てたペットポトルの蓋をとり、本体と別々にし、本体をペシャンコに潰して、ゴミを分別していた。それは私たちがするべき仕事であったのだ。
やがて山内さんが人数を確認し、部屋の鍵の返却などの後始末を済ますとバスは出発した。
最後のダルシャン(3)
2010年09月05日 · コメント(0) · 未分類
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