思えば、私が最初にサイババと出会ったのは、千九百八十四年のことである。それは、直接、面と向かってという意味ではない。
私は、当時私が指導をうけていたヨガの先生とともに東京のフェアモント・ホテルに宿泊中の○○○○女史を尋ねた。女史は、世界的な仕事をなさっているBK氏の通訳者として、氏が日本で講演をなさる間、氏に付き添っておられる。私たちがホテルの喫茶室で○○女史と話していると、BK氏が部屋から降りてこられて、傍らに腰掛けて私たちの話しを黙って聞いておられたが、突然立ち上がって、右手を掲げ、手の平を私たちの方に向けて、私たち一人ひとりに祝福を与えるような仕種をされた。私は正直なところ、一体なにをされているのか理解できず、とまどいの気持ちを禁じえなかった。○○女史が、今BK氏は、サイババのオーバーシャドゥを受けられて、私たちを祝福されているのだ、と説明された。
あれから、十八年の歳月が流れた。BK氏は、講演会の終わりに誰かがサイババについて質問すると、必ずサイババのオーバーシャドゥを受けられて、私たちに愛のエネルギーを注がれる。サイババのアシュラムで、ダルシャンのときに受けるあのエネルギーである。
ダルシャンのエネルギーが、どんな意味を持つのか、はっきりと認識できる段階に至ってはいないが、少なくとも、人間の中に永遠に宿る光があることに気づかせる働きがあったのだと、私は感じている。
インドには、大いなる光があり、多くの人々が意識的にしろ、無意識的にしろ、その光を求めてプッタパルティに押しかけている。
平成十四年 三月十七日
あとがき(3)
2010年09月09日 · コメント(0) · 未分類
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