「私の話は、一億円です」「私の話しを聞くときは、眉につばをつけて聞いてくださいよ」というのが、先生のいつもの前置きの言葉であった。先生が治療代を決して請求されることはなかったが、まるっきりただで治療されているのか私は疑問を抱いて、聞いてみた。「先生の治療は、お金をいただくことはないのですか?」と。先生は答えられた。「医師の資格を持たない者は、医療行為を行ってはならない」「だが、助けを求めてやってきたものに対しては、全力を尽くして、助けねばならない」「助かれば、人は何がしかのお礼をせずにはおられない」。
そして、こんな話しをされた。一宮に住むある人が、何の病気であったか今は覚えていないが、ひどい病気にかかって、死にかかった。その人も貧しい暮らしをしていた。医者にかかることができないほどに金銭に困っていた。それで、先生に助けを求めた。先生は、治療を行い、その人は回復した。その後、先生宅にお礼にこられたが、先生の質素な生活ぶりをみて、こう言われた。「何のお礼もできませんが、あんたが食べる分ぐらいのお米はわしがなんとかする」と言って、毎年30キロの玄米を届けるようになったと。噂を聞いて、治療をお願いにこられる人が増えてきた。先生はこんな話しもされた。「ガンを患う人で、私がわずかな礼で治療を行うと人から聞いて訪ねてくる人がいた。そういう人にはこう尋ねる。『あなたの命はおいくらですか?』黙って答えない。『お医者さんにいくら払うのですか?』『50万ほど』『それは大変ですね』『私の話しは一億円です。一億円持ってきましたか?』『いえ、持ってきていません』。
しばらく後に、もしガンが治れば、それ相応のお礼はさせていただくとその人はきっと言う。『では、今日はまけとく。あんたが気にすむ金額でいい』と答える。
一億円の話し
2010年09月19日 · コメント(1) · 未分類
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Caroline // 2017年03月28日 8:06 AM
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