ベートーベンの第九とサマーディ
第九の第四楽章のある部分に
ソプラノの独唱で、
次第に音域が高くなっていって、
最高点に達すると、
一瞬の沈黙がやってきて、
音のない世界があります。
ベートーベンは、
無音によって、
最高の音を表現していますね。
ここを聴くと、
なんだか瞑想のサマーディとよく似ていると
私はいつも思います。
サマーディを体験したわけではなく、
単なる想像ですが。
サマーディも、
集中を高めていって
最高の集中の瞬間に、
無の境地に達します。
タントラは、
象徴によって
男性原理であるアジナ中心と
女性原理である頭頂中心がつながり、
天上の結婚が行われると教えています。
世俗的な人は全く別の意味に解釈します。
この瞬間は、
重要なインスピレーションを
得るときの状況とも似ています。
一心に思考をめぐらして、
考え付こうと努力し続けて、
ふと集中が切れて、
思考が他のものに向かう瞬間に、
求めていた解答を
一瞬にして手に入れることができる
という状況です。
このような歓喜の瞬間は、
やはりベートーベンのような
真実の人でないと、
味わえないかもしれません。
ふだんから、これは緊張を伴いませんが
無(ゼロ)になる瞬間を心がけて生活するといいでしょうね
そのことを語っているブログを下のトラックバック先に発見しました。
「ゼロになれと言われて」http://nijiironokushi.at.webry.info/201011/article_1.html
ベートーベンの第九とサマーディ
2011年09月15日 · コメント(0) · 未分類
タグ :
コメント (0)
コメントはまだありません。