三国志第79話「黄忠、矢に当たる」を観て。
齢75才、ゴコ大将軍の黄忠は、
主君劉備玄徳にこう言います。
「むなしく生きながらえるよりも、
大事な決戦のさなかで、
死ぬことが私の望みなのです。
呉軍の精鋭10万の兵をおびき寄せるえさとして、
私に下命してください」。
このシーンを見ながら、
私は「主のために、
死んでもいいと思っています」
と語ったあの人の言葉を思い出していました。
2千年前王を喜ばすために、
ダンスを踊ったサロメの求めに応じて、
ヘロデ王は洗礼者ヨハネの首をハネました。
フランスの詩人バレリーがその情景を描いています。
ペテロの他、
12使徒の多くの弟子たちは、
伝道の仕事のさなかに、
ローマ帝国の皇帝たちに命を奪われています。
今の時代は、
伝道のせいで命を奪われることはありませんが
世界奉仕者たちは何らかの犠牲を
喜んで捧げたいと思っているに違いありません。
犠牲は第六光線の特質です。
肉体の死を怖れないのは、
第一光線の魂の特質です。
私は命を捧げることができませんが、
何を捧げて、「武勇を示す」ことができましょう?
参考メッセージ第72信
三国志第79話を見て
2012年08月18日 · コメント(1) · 未分類
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Rita // 2017年03月28日 3:32 AM
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