「我思う、ゆえに我あり」。
これは、
有名なデカルトの方法序説の中の言葉です。
私のかつての先生は、
「我、仏を臆念すれば、
仏、我を臆念する」
という親鸞聖人の言葉を教えてくださいました。
この教えは、
私にとって、
というか、秘教徒にとって、
役に立つ教えであることを
つくづくと感じています。
志向者(熱誠家)は、
性格建造の課題に取り組むとき、
自分の特性の中に
何が欠けているかを注意深く観察し、
その欠けた特徴を補充するために、
星のエネルギーに注目を向ける段階に至ります。
星のエネルギーとは、
つまり自分のホロスコープを検討することによって、
どの星の特徴が欠けているかを検討します。
次に、積極的にその星の特徴を取り込むために、
どのようにすべきかを研究します。
「我、仏を臆念すれば、仏、我を臆念する」
という言葉が
何を伝えようとしているかを知ることになります。
毎月の満月の瞑想のとき、
その月のサインの支配星からのエネルギーを
グループで受け取るようになれば、
急速にその星の特徴を吸収できる
というアイディアがやってきました。
単なる妄想かもしれません。
我思う、ゆえに我あり
2012年11月17日 · コメント(0) · 未分類
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