新約聖書のイエスの言葉と、
マイトレーヤのメッセージの共通項に気づきました。
まずイエスの言葉。マタイ伝第八章五節です。
「・・・
多くの人が東と西から来てアブラハムとイサクとヤコブとともに 天国の宴につこう。しかし(いわゆる)み国の子らは外の闇に投 げ出されよう。そこではなげきと歯ぎしりがあろう。
・・・」
天国の宴とは、別の所で婚姻の宴とも表現しています。
そこではユダヤ人である「身内のもの」を招待しても
誰も出席しないので、
通りで出会う人に声をかける」と言っていますが、
これは比喩的表現です。
ペテロらはユダヤ人ではありませんが、
イエスに所謂天国の宴に招かれました。
「み国の子」というのは、
自分たちを救世主が解放しにやってくる
という預言者の言葉を信じ、
期待をこめて待っていたユダヤの人々のことです。
ユダヤ教の司祭たちは、
イエスがその人であることを認めることができませんでしたが、
ローマ兵の百卒長は信仰深く、
イエスをその人であると認識しました。
天国の宴とは、
惑星の囚人という立場からの解放のことを言っています。
マイトレーヤは同じことを次のように表現しています。
「・・・
天与のこの機会を握(つか)み取りなさい。
・・・」(メッセージ第91信より引用)
天与の機会とは、
惑星の囚人という立場から解放される機会のことです。
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