ミニマニストの生活ぶりを紹介するTV番組がありました。
映されたミニマニストの部屋には、
小さな机と椅子だけが置いてありました。
ミニマニストは余った食べ物をベランダで干して乾燥させ、
保存食にしていました。
その他の生活必需品は、
必要最小限のものばかり。
チベットの修行僧と同じだ、
とTVを見ていた私は思いました。
かつてフイリピンで政変がなされ、
マルコス大統領がアメリカに亡命したとき、
その夫人、イメルダ夫人の所有物がTVに映されました。
三千足の靴や、
豪華なドレスが収納してあるクローゼットがありました。
最小限の持ち物で生活する人と、
際限のない物欲に囚われている人、
という両極を知ることができました。
両極と言えば、ギリシャの哲人ディオゲネスと、
アレキサンダー大王の逸話を思い出します。
二人は、同じ年に生まれ、
片方は武人の英雄、
もう一方は乞食同然の貧しい哲人。
私たちは、その中間にいるかもしれません。
東日本大震災があった時、
高価なコーヒーカップセットを、
集めていた主婦の方が、
感ずるところがあって、
収集をやめ、被災者支援の募金に応じたということを、
TVで紹介していました。
私は「金銭をひきつける沈思瞑想」の解説を読むまでは、
どちらかと言うと、
イメルダ夫人のように使い切れないほどの、
豊富なものに囲まれて生活することに憧れていた。
大震災の被災者支援の献金をしたいと、
おもったわけではありませんが、
今はチベットの修行僧のような生活も悪くない、
と思うようになりました。
ディオゲネスのようには、
なれませんが。
禅の標語が言うように、
「吾唯足るを知る」心境になってきました。
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