4/29に北朝鮮情勢のブログの中に無恐怖の大切さを書きました。
無恐怖という言葉から思い出したことがあります。
2015/12/30:恐怖(8)というタイトルの
ブログを参照してください。
素潜りの達人二木あいさんをシャチが襲ってこないのは、
動物たちはオーラが普通に見えるに違いないから、
と私は書きました。
この話と関連していますが、
私が妻と奈良に行ったとき、
馬ほどの大きな鹿が私たちが歩いていた道の前方を横切りました。
その姿に妻は恐怖を覚え、
私の方に身を寄せました。
私が鹿に目をやると、
鹿は大きな目で私たちの方をじっと見据えました。
私は敵意のないことを伝えるため、
テレパシーではありませんが、
平安の心で鹿の大きな目をじっと見ました。
鹿は何事もなかったように、
静かに通り過ぎていきました。
2014/7/24:平安な心というタイトルの
ブログも参照してください。
恐怖とその反対の平安は、
私たちの心の中で、
シーソーの動きのように上がり下がりしているかもしれません。
恐怖を克服することは、
大きな課題を成し遂げることかもしれませんね。
主が大きな喜びを覚えられるというのも分かります。
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