私は多くの本を紹介し、
ブログで知識を披歴したかもしれません。
知識を披歴することは、
軍事力の誇示に、
どこか似ていると気づきました。
このブログに訪れる人には、
マイトレーヤの次の言葉を心に留めていただきたいです。
”書物による勉強で多くのことを学ぶことができよう。
しかし世に奉仕することによって、
それよりもはるかに多くのことが学べるのである。
・・・”(メッセージだい116信より)
これまでの経験から、
私は次のように考えています。
昔読んだ実存哲学者サルトルのある小説には、
図書館の本を全て読もうとしているのか、
タイトルがAで始まる本から順に読む人のことが書いてありました。
私もその人に倣って、
可能な限り多くの本を読もうとしました。
それで、学生時代には毎日のように本を読みました。
しかし、そのようにして読んだ本の内容は、
今は全く覚えていません。
読んだ内容に伴う実践がなかったからです。
不朽の教え(秘教)は、
”人間は苦難を通して学ぶ”と教えています。
本を読んで知識として蓄え、
その時は、多くの知識を得たと思っても、
実践が伴わなければ、やがて忘れ去られて行く。
すべてゴミのように、忘れ去られる。
物質界で実践(行動)して体験してときに初めて、
行動したことの深い意味が分かり、
記憶にしっかりと留められる、と。
マイトレーヤがメッセージで伝えているように、
ブログを読んだだけで満足しないでください。
老婆心から。
ohira // 2017年05月04日 12:44 PM
ジュワルクールクール覚者の、圧倒的で超人的な知力よりも、本を通じて伝わってくる、彼のハートや高潔さに感銘を受ける部分もあるかと思います。