昨日(7/7)は旧暦の七夕祭りの日。
今の人々は新暦に従って、
8月7日に竹に願い事を書いた短冊や、
飾り物をぶら下げておもてに飾りお祝いします。
この催しの竹の飾りものは、
商店街が買物客をひきつける意味合いが強くなっていますが、
私は織姫星と牽牛星の伝説の物語を思い出し、
久しぶりにロマンティックな気持ちになります。
”織姫星と牽牛星のように、
せめて一年に一度ぐらいは、
あの方と会うことができればいいのに”と。
ところで、話しが変わって、
アリス・ベイリー著「ホワイト・マジック」には、
ホワイト・マジシャン(志向者)の立脚点は、
”濡れてもいない、乾いてもいない所”と書かれています。
これは、アストラル体の感情過多と、
メンタル体の情緒欠如を戒める言葉と私は理解しています。
イニシエーションの道を辿る人は、
メンタル偏極を心掛けることは勿論ですが、
ロマンチックな感情が理解できないというわけではないです。
情緒とマインドが並行して進むことを理想とします。
乾いた心の人は、
メンタル偏極が進んでいて理知的のようですが、
乾きすぎた人はイニシエーションの道を、
辿らないことが多いです。
自分は人々とは違うというイリュージョンに陥り易いので。
感情が乾いている人は直観力が発達せず、
アストラル偏極の幼い感じの人が理解するカルマの法則などを、
本能的感性で感知することができないようです。
一方、古代のナイーブな人々は夜空の星を見て、
星から放射されているエネルギーを
感じ取っていたかもしれません。
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