友人とメッセージ第10信にある表題の言葉について語りあいました。
この言葉は、第61信でも繰り返されています。
以前に、
”わたしはあなたがたの愛である。”
(メッセージ第10信より)
というメッセージの言葉を取り上げたことがあります。
いとしい人のことを思うとき、
私はハートの中に住まわれる主とともにいると知って、
喜びを感じたことをブログに書きました。
”わたしはすべてである”という表現は、
一歩進んですべての中に主を見つけることができる、
ことを伝えています。
かつて、SI誌の「編集長への手紙」に、
白いハトがローマ法王の肩にとまっている写真が掲載され、
読者の質問にBCが応えていたことを思い出しました。
食べ物がなく、私がマンションのベランダに出て、
じっと外の景色を眺めていたとき、
一羽のハトが心配そうに私を観察していました。
その時、
何となくそのハトが主の変身した姿のような気がしました。
思い過ごしかもしれません。
主はどのような姿をとることができると、私は信じており、
友人に”あなたもマイトレーヤが変身した姿かもしれない”
と告げました。
友人は満足そうな顔をしました。
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