勧善懲悪のドラマに、
子供が憧れることは何の問題もない。
しかし、それが大人になっても、
魅力的に見えるというのは、
心の成長の問題を感じさせます。
そう感じるのは私だけでしょうか?
勧善懲悪を大人になっても好んで見続ける人は、
善人と悪人を自分なりの善悪の基準で分け、
悪人を罰することが正義だとする
自分なりの判断を作ります。
それは、一種の壁を作ることになる。
そのような心は、
「コース・イン・ミラクルズ」の教えが
推進しようとしている、
”許し”の心に発展しにくい。
イエス・キリストは自分の磔刑に関わり、
槍で自分を突きさしたローマ兵たちに対して、
神に祈っています。
”主よ、彼らをお許しください。
彼らは、何も知らないのです”と。
たとえ、自分が理不尽な扱いを受けたとしても、
その人を恨まず、
イエス・キリストのように祈ること。
ここには、
第四イニシエーションの秘密が隠されているかもしれません。
これで自分の過去のカルマ的負債が償還されて、
神は自分を引き上げてくださるのだと思いたいです。
私は「カルマの結び目」という言葉で、
自分が不正義と遭遇した時の心の持ち方の重要性について
言いました。
私の言いたいことは、
少なくとも、勧善懲悪を早く卒業することは、
憎しみの連鎖を断ち切ることにつながる、ということです。
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