主に代わって、私たちが何事かを行うことができる、
と考えるのは、おこがましい。
しかしメッセージ第122信の中に、
次のような言葉があります。
”・・・あなたがたを通して、
わたしを働かせてほしい。
・・・”(「いのちの水を運ぶ者/BC著/IS訳/
シェア・ジャパン出版)
リトグラフ(3)というタイトルのブログには、
次のメッセージを書きました。
”・・・我が友よ、
わたしに代わって行動するのを恐れるでない。
わたしがここに居ることを信じて、
あなたの兄弟たちにこのニュースを告げなさい。”
(メッセージ第111信より)
これらのメッセージを読むと、
次のように理解できる。
”私たちは、主の代理として働くことはできないとしても、
主が私たちの間で働いておられるのだ。
”たとえ目に見えないとしても、
背後から支えてくださっている
”主が私たちの間で働いておられることを、
伝えることそのものが、
主の働きをなすことになる”と。
そのことが、今年のSI誌の表紙に使われているBCの絵画:
「到来されるマイトレーヤ仏陀のためのタンカ」という絵
の意味だと、私は解釈した。
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