名古屋の地下鉄に「妙音通り」という名前の駅があります。
今は、出かけられませんが、
毎週、火曜日に、その駅で降りて、
私は瞑想に出かけました。
その駅で電車を降りる度に、
昔ヨガの師匠が、
こんなことを言っていたことを思い出しました。
”観音(カンノン)とは、エーテルを見ることである”と。
”音”という文字は、
精妙な波動のことを表現したものだ、と思いました。
エーテルを表現する言葉がなかった時代に、
空気よりも精妙なものを、波動として伝えるために、
”音”という文字を代用的に用いたのかもしれません。
それと関連あるだと思いますが、
”妙音”というのは、何のことかしら?
さしずめ、妙なる波動(音)が感じられる通り、
だったのかも、と思いました。
師匠の話から、”観音菩薩”という名称は、
”エーテル視力を持つようになった、
イニシエートが菩薩行に励行するようになる姿を言う、
ということを知りました。
エーテル視力は持たなくても、
菩薩行のまねごとを始めよう、
”分かち合い”を実践して。
主が支えてくださる。
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