昨日(11/25(土))、
NHKEテレの「心の時代」という番組を見ました。
釈尊の最晩年の旅行記と時々の説教の記録が、
講座のテキストの題材となっていました。
旅の途中に出会う
様々な修行者たちの様子、
死後どこへ行くのかと一番弟子のアーナンダが、
釈尊に尋ねます。
超常能力であるその洞察力で、
仏陀が修行者の輪廻を見透視し
彼等の修業の結果が、
どのようになるかを、
教えを織り交じえながら応えます。
その中で使われているディーパという言葉の意味が、
仏教学者の間で議論の的になっていることを、
番組の解説者丸井浩先生が述べていました。
”ディーパ”という言葉は、
サンスクリット語か、
それともパーリ語か私には分かりません。
川の中央にできる中州という意味か、
それとも自灯明;法灯明を意味する言葉と同じであるか、
が議論の的になっている、と先生は答えておられました。
私はいずれが正しく意味を伝えるのか、
自信を以って言うことはできませんが、
釈尊が説くように、
自分の中に真理の拠りどころが秘められているとしたら、
それは自灯明や法灯明と同じ意味だと、
解釈するのがよいと感じました。
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