昨日は人間は多様性に富んでいる、という、
秘教的観点を紹介しました。
”生物多様性”という言葉は、
生命の本来的な多様性を象徴している表現です。
他方、
白人至上主義などの人種差別の感じ方・
異種を排斥しようとする考えは、
個人主義とは異なりますが、
極端な個人主義と言えます。
「人類は一つ」であることを、
魂が知っていることからすれば、
偽我の幻影の一つです。
エリート意識をはじめとして、
宗教・信条・人種・思想・感じ方などの違いを理由に、
他者を排斥しようとする感情は、
己の解放を遅らせ、束縛と幽閉を継続させます。
違いを理由として好みや嫌悪の感情を抱くのは、
孤立の世界を作ることになります。
異種のものに対するこの嫌悪の気持ちは、
動物界の生存競争・縄張り競争の癖を受け継ぐ、
私たちの過去世で作られてきたものかもしれません。
新時代になったので、、
覚者は競争することよりも、
和合する術を習得すべきことを教えています。
”和合の技術”と聞いても、
スポーツ界をはじめとして
競争することが当たり前と感じている私たちには、
そんな技術は無駄で無益なことのように思えます。
しかし、
同胞愛のリアリティがまぎれもないことだと確信すれば、
勝負の世界の外で”和合の技術”を身につけることは、
必要であり、新しい生き方であるといえます。
BCは「生きるためのアート(技術)が必要」
であると述べています。
和合の技術(アート)とは、
新時代に向けての新鮮なテーマですね。
ところで、
私はかつて”ジグソーパズルのピース”と、
題してブログを書きました。
この意味は、人には独自性があり、
その人でなければできない独特の役割がある、
と言いたかったのです。
その独自性に目覚めて、他者の独自性をも尊重するなら、
きっと自分も全体の中で、ぴったりと収まる役割を、
発見できる、ということを述べたかったのです。
それは天職にも通じますね。
ohira // 2018年01月26日 2:17 AM
https://soundcloud.com/taishi-ohira-745737342/ananda-sinbhubhavayai ピアノコンチェルトを書いてみました。よかったら聞いてみてください。
mimizutoisi // 2018年01月27日 1:55 PM
率直に言わせてもらえば、とても最後まで聴いていられる音楽ではありませんでした。
このような音楽を私は好のみません。