先日NHKTVで小学生の学級会、or、
道徳の授業風景が映しだされ、
いじめを無くすには、
というテーマで話し合っていた。
生徒たちの口から出ていたのは、
いじめを受けている誰かを見かけたら、
”神対応”をする、という言葉です。
唯物的思考が頂点に達していると思われる今日、
生徒たちは宇宙のどこかに、神がいると、
本当に信じてはいないとしても、
神という言葉が意味するなにがしかを感知している。
少なくとも、
利己的で動物的とも言える、
パーソナリティー意識とは異なる、
魂(神性)意識があるということを小学生は認識している。
神智学の紋章に描かれているように、
私たちは神から出でて、
魚の鮭のように、遅かれ早かれ、神へと戻っていく。
聖書をはじめ、
神智学・秘教は上で述べたようなことを伝えているが、
小学生がそのような教えを学んでいるはずはない。
しかし、
パーソナルティー意識とは異なる魂意識(神性意識)が、
人には秘められている、
ということを現代の小学生は知っている。
いじめの問題をテーマにした授業風景を見て、
私は思いがけないことを発見をした気分です。
”神っている”という言葉もあります。
”神”という言葉が深く浸透している。
少なくとも、
人間わざを超えた超人的能力が、
私たち人間が目指す前方にあることを、
告げている。
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