昨日のブログで、
無執着について述べている時に、
イエス覚者の説教の中に”狭き門”が
譬えに使われていることを思い出しました。
ラクダの背に荷物を載せて、
ローマ時代の隊商たちは交易に携わりました。
ローマの都市は、城壁に囲まれていて、
隊商たちが都市にはいるには、
所々に設けられている城塞の入口を通ります。
その入口は、
敵の侵入がすぐに防げるように、
入口が狭くしてあり、
隊商たちのラクダは
荷物を背負ったまま通ることはできません。
隊商たちは、
ラクダの背から荷物を降ろして、
城の外に休ませ、
自分たちも休みました。
イエス覚者は、
これを私たちが天国(ハイラーキーのこと)に入るには、
背の荷物を降ろさなければならない
ことに譬えました。
”富んでいる者が神の国に入るよりは
らくだが針の穴(城壁の入口のこと)を通る方が
もっとやさしい”と.
物質的執着を戒める分かり易い譬えですね。、
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