自分の想念を客観的に見るには、
瞑想がよい訓練になる。
人が自分中心の欲望に囚われていると、
譬えで言えば、
霧のようなグラマーに覆われ、
物事(リアリティ)が見えているようで、
実はものごとが見えていないし、
リアリティのほんの一部しか見ていないが、
そのことにも気づくことができない。
話しが突然変わりますが、
現在横行している詐欺被害に会わないためには、
自分が何らかの欲望を刺激されているかどうかを、
客観的に見らるなら詐欺被害に会うことはなくなる。
自分の思いを客観的に見るとは、
意識の焦点を欲望の座である太陽叢中心から離し、
アジナ中心へと移すことを意味する。
瞑想の初期的段階には、
自分の脳裏には色々な思い:
主として感情が去来して、
とても自分を”無”にすることはできない。
それらの感情を客観的に見て、
感情的思いが
流れて行くに任せる。
やがて、自分に関する思いよりも、
大切なことがあることに気づき、
自分を無にしようと集中する。
かくて、
己の想念に、
自己ちゅうの欲望が隠れていることを発見する。
しかし、瞑想の意義を認識して、
それを実践するまでには、
多くの人生が必要不可欠だと、
BCが語っていました。
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