禅寺の修行僧は民衆から何か品物をいただくという、
布施修業を経験する。
修行僧は誰にも何も寄贈されなければ、
行き倒れの死を覚悟しなければならない。
修行僧が背負う櫃(ひつ)には、
行き倒れた時自分の肉体を火葬してもらうに足るだけの、
お金を入れて行脚する。
金銭や食べ物を持たず、
お布施が得られるまで、
民衆の家の前に次々に立ち続ける。
布施修行は、
修行僧が或る霊法則を学ぶための修行。
話しは変わって、
電動ポンプがなかった昔、
水汲みのポンプは、
手押しポンプの長い柄を上下に動かして、
水をくみ上げていました。
水汲みポンプを動かさないときが長く続くと、
水道管の水がすっかり下がって、
ポンプの柄を上げ下げしても、
水をくみ上げることができません。
その時、
手押しポンプに”呼び水”を入れて水道管を満たす。
呼び水を入れて、その水を汲み出すと、
水道管は真空となり、
井戸の水が上がってくる。
ここには、
エネルギーの授受に関わる。
重要な法則がある。
これを”呼び水の原理”と称する。
布施は呼び水の原理で、
民衆が自己保存のあまり、
下降する運勢の波の上で、
貧困に陥らないようにする。
仏陀は、
貧困に苦しんでいる村で布施修行するように、
出家僧に勧めた。
貪欲さは、
自分と他者との間に保護主義の壁を築き、
自分だけを守ろうとする。
隆盛の波の上にいるときは、
豊かであっても、
運勢が下降する時、
他者から資源を供給されないことになるから。
困窮しないように、
”呼び水の原理”を働かせることを、
仏陀はお布施によって教えていたに違いない。
コメント (0)
コメントはまだありません。