このサイトの記事に興味を持つ人たちは、
再生誕の法則に疑問を持つことはないだろう。
しかし、
キリスト教を信ずる多くの人たちは、
生涯はこの一生かぎりだと信じている人が多い、
とお聞きした。
理由は、
新約聖書の中に再生誕を伺わせる記述がないから。
アグニヨガを学ぶ友人がかつって私に言いました。
キリスト教の教義を決する最高会議:
西暦325年に開催されたニケーア公会議で、
再生誕を伺わせるイエスの言葉が聖書から削除された、と。
教皇を初め、
大司教などの当時の宗教指導者には、
生まれ変わりが理解できなかったため、
理解できない記述を除いて編纂した、と。
私たち仏教圏に住む者には、
生まれ変わりは広く信じられている。
“生まれ変わったら、再び同じ人と夫婦になりたい”
というセリフをしばしば耳にします。
ですが、
人生は一回限りで、
苦難はこの生涯が終われば、無くなると思う人が、
仏教圏の東洋においても少なくない。
一般的に言って、
そのような人々は唯物科学の陳述を受け入れて、
生まれてきたのは自分の意図ではなく、
偶然だったと考えている。
死後の世界を知る由もないから。
派閥争いに明け暮れる宗教団体の姿を見て、
宗教を退け、そのような教えに接する
機会がなかったからかもしれない。
いずれにせよ、
死に対する過度の怖れは、
唯物科学的な考え方から生じる。
逆に、
死によってこの苦しみから逃れることができれば、
それで全てが終わるという、
誤った思い込みこみに陥る人もいる。
カトリックは自殺を大罪の一つに数えている。
カルマの法則を受け入れ、真正占星学を知れば、
自殺者は生まれ変わった次の生涯でも、
自殺を解決の手段に選び、
その手段が何生も繰り返されることが分かる。
過ちの償還という意味もある貴重な物質界の生涯が、
かくして苦難ばかりの生涯となる。
再生誕の法則とカルマの法則に、
疑念を持つなら、まず、
それらの法則を作業仮説として受け入れ、
それらの法則に沿った
生き方をしてみることを勧めたい。
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