私はそれまでに自分の学習塾をたたんで、ある学習塾に社員として雇用されていたが、父親のことが気になるし、会社では「動員」と称して先生方の間では、生徒たちに勉強を指導することをさしおいて、講習会に勧誘する営業競争が過熱気味に行われていた。そんな仕事場に私は嫌気がさしていた。それで、別の昼間勤務できる会社に就職しようと履歴書を提出していた。その会社から、雇用を前提とした説明会があるから出席するように、手紙がきていた。それを見て私は直ちに今の学習塾に退職願を提出した。しかし、説明会に行って見ると、私を入れて四人の人が出席していて、社長はその面接の時に、私の方だけ一瞥もしなかった。不安を感じて家にもどり、待機していると速達が届いて、今回は採用を見送りたい、と書いてあった。学習塾の方にはすでに退職願が提出してある。私は仕事を失ったのだ。 それから、朝食をつくりながら、息子と父親に食べさせ、ハローワークへ仕事をさがしに出かけた。年令が四十代ともなると、さすがに仕事はみつからない。「残念ながら、採用をみあわせます」という言葉とともに、履歴書の多くは返送されてきた。面接にこぎつけていってみると、あなたには無理だといわれた。あるいは、三日ぐらい後に断りの返事がきた。そして、ようやく私が住んでいる地域の、自宅に近い所に、地質調査士が個人経営している会社の、地質調査の助手の仕事が見つかった。 私は、一人っ子である家内と結婚するとき、私が三男で、両親の面倒を見る状況にはならないという判断で、家内は私と一緒になってくれた。それで、私が親の面倒を見るというのなら、離婚せざるを得ないという。私は、暫くは父親の朝食を作って、面倒を見ていたが、私が仕事に出かけているうちに、父親は悪友と呼ばれている人とあちこちに出かけていっては豪遊して、周囲の人々に気前よくお金をばらまいているという、噂を耳にした。 それがあってから、私は自分で父親の面倒を見ることをあきらめて、五人兄弟姉妹の次女である姉に、私に代わって父親の面倒を見てもらうことにした。父親の面倒を見てもらうことを引き受けてもらう代償に、現在は父親の名義となっている百坪の土地を姉が相続できるように、兄弟たちと父親を説得した。そして、父親は姉の家に同居することとなった。そのとき、すでに父は認知症の症状を表していて、私が会いにいって顔を見せると、「どちらさんだったかね」と尋ねるのだった。
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