アパートに同居することを、娘から拒否されていたので、もう一つのアパートを借りるより他なかった。不動産屋にあたって、そこからほど近い所に空室をみつけ、そこを借りることにした。ただ寝るだけである。そこに行って鏡で自分の顔を見ると、左目の部分はパンダのように黒く隈ができていた。息子のパンチをくらった所である。そして精神病院にも通った。睡眠薬を処方してもらって、それを服用して眠りについた。
娘は、第一志望の公立高校に合格できた。ところが第二志望の私立高校の方は滑ってしまった。奇跡としかいいようがない。公立高校の方がずっと難関であった筈である。とにかく無事に高校に入学できてよかった。それで、アパートを二つも借りていることは、財政的にも無理があるし、長く続けることができるわけではなく、娘を説得して新たに一つのアパートに三人で住むことにした。地下鉄〇〇丘駅近くの3LKのアパートを借りた。息子の所には、家内が食事をつくって届けていた。私たちは、家内が人から勧められた精神科医、心理療法士、カウンセラーをつぎつぎに訪れては、自分と家族のことを相談した。
私自身、精神的な不安定状態が続いていて、夜よくねむれない日々が続いていた。クリニックで処方してもらった睡眠薬を飲むと、それが翌日まで影響していて、朝起きても頭が朦朧としていて、ふらふら状態で歩いていることがあった。そんな状態で仕事に出かけていたので、家内が心配して、その薬を飲むことを止めさせた。そして別の精神科医を探してきてくれた。その診療所にいくと、助手のような人が私の一通りの話を聞いてくれたが、なんとなくたよりない。精神科医が直接私を診てくれて、次回から箱庭療法を取り入れるというような話をした。私はそれっきりその診療所にはいかないことにした。
私は正直にいえば、地質調査の仕事を一生の仕事にすることは考えていなかった。他に仕事が見つからないので、当面の仕事と考えていた。だが肉体労働であったのは、私のノイローゼ状態を解消するのに、たぶん役立っていた。仕事中は、自分の置かれた状況や家庭環境、息子のことなどを忘れて仕事に没頭することができた。
紅葉の風景
ボーリングの仕事について、二ケ月程経った時だった。岐阜県鷲ケ岳近郊まで出張して地質調査をする仕事がはいった。その時のことを書いておきたい。
私は親方が運転する四トントラックの助手席に乗っていた。スキー場の奥地、やま越えの山間道路(たぶん東海北陸道)の建設が予定されているところでの地質調査であった。岩掘りである。
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