やがて紳士然とした人がやってきて、その傷害事件をおこした相手がだれであるかを私に尋ねた。そして、無線でパトカーに私の家の近くに待機するように、指示を出していた。私は息子から切られたことを涙ながらに告白した。その人は〇〇署の刑事さんだった。傷害事件として扱うには、私からの告訴が必要であるというようなことを語った。私は自分の息子だから告訴はしない、と言ったら、同情するように納得して、そのまま帰って行かれた。
その時の私の心境を書いてみよう。
私は、息子を恨む気持ちを持たなかった。自業自得だという思いだった。何故包丁をふりおろしたかが理解できた。息子が幼かったとき、彼が包丁を持って娘を脅す場面にでくわしたことがあった。その頃、テレビの番組で「ドラゴンボール」というアニメが放送されていて、この番組では一度死んだものが、再び生き返って、戦い続けるということが当たり前のように描写されていた。それを子供たちは熱心に見ていたので、ひょっとしたら、子供の頭の中では相手を殺しても再び生き返ることができるという理解の仕方がなされているかもしれない、と私は恐れた。息子が包丁を振り回す姿を見て、私はそういう行いが間違った態度であることを子供たちに伝えたいと思った。それで、彼らの目の前で、包丁を振り回して彼らにも恐怖感を抱かせたいと思った。その後で、このような相手に恐怖を与えるような行為を絶対にやってはいけない、と強く言い聞かせたことがあった。それが、息子の心に刷り込まれていたであろう。息子は私の真似をしたのだ。
もう一つは、息子は一人で生活していて、泥棒か強盗の侵入に備えるために、武器をすぐに取り出すことができるようにしていたに違いない。それを使って、相手を脅すことを考えていたのだろう。息子が私を意図して切りつけたとは考えられなかった。
私は、息子のこの行為が彼の心の傷となることを恐れた。父親の顔をきりつけたという記憶は、息子の心が正常となった時には、トラウマとなっているかもしれない行為であった。私の顔に後々まで傷痕が残ることは、私自身にとって大きな痛手であるが、それ以上に息子の心の傷となることを恐れた。しかし、幸いなことに、現在は、息子の心の傷とはなっておらず、私の顔にもほとんど傷痕が残っていない。
私は茫然と救急室に座っていたが、気をとりなおしてアパートに戻った。顔は分厚い包帯で覆われていた。
閉じ籠りに寄せて:息子よ(18)
2019年08月18日 · コメント(0) · 日記
タグ : トラウマ
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