秘教日記

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新しい時代に人は大いなる目的を持つ。人類がイニシエーションの 道を発見し、それを辿ることになるということを、ハイラーキーは 予言しています。エベレスト登頂を成し遂げた人々が出現したことは、 ハイラーキーの予言が正しく実現される証しです。世界最高峰登頂の 出来事は、イニシエーション達成の予兆となっています。

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閉じ籠りに寄せて:息子よ(28)

2019年08月28日 · コメント(0) · 日記

クリニック
私と家内は、〇○市△区のクリニックにカンセリングを受けに行っていた。閉じこもりの子供を抱える親たちが、それぞれの体験をグループで話し合うという方式である。二十人程のグループ内に男性は私を含めて二人だけだった。全員が家庭内に引き籠もりの子供を抱えている。簡単な自己紹介のあと、自分たちの子供の年齢または学年、どのようなきっかけで引き籠もるようになったかなどを次々に語っていった。
印象に残っているのは、私の隣にすわっていた、私よりもひとまわり年代が上の男性の話と、銀髪を紫色に染めている私たちと同じ位の年代の女性の話である。男性は警察官であった。その話を聞いている内に、その方の躾についての考え方が異常に封建的であると感じた。お子さんは大学生であった。自分のことを反省する言葉はなく、一方的にその方の奥さんの躾の仕方、子供のわがままが引き籠もりの原因をつくっているという考え方であった。
もうひとりの女性はかなりなインテリの感じで、その話を聞いている内にご主人との軋轢のはざまで、お子さんが引き籠もりを始めたことが伺われた。私たちのケースと同じである。私は、自分が子供の教育にタッチしなくなり、私と息子が大喧嘩をしたときに、家内は息子を庇い、私を叩いて息子を守ろうとしたこと、息子は私を無視していることなどを話した。それについて、銀髪を紫色に染めた、あのインテリ女性の方が感想を述べた。私はあまり覚えていなかったが、家内が後から私に言うには、その女性は、私に「あなたは、その時息子さんに(無関心の態度ではなく)どのようにされましたか?」と問い掛けておられた、と述べていた。私は何も応えなかったことを覚えている。家内と張り合う形で、息子に過剰な愛情を注ぐという考え方は、私にはない、と心の中では呟いていたことを思い出した。私の態度は確かに無関心であった。しかし、家内の行き過ぎた愛という干渉こそが息子の魂を束縛している、というのが私の考えだった。息子の暴力は、魂の自由を得たいというもがきではないだろうか。当時の考え方は未熟であった。確かに無視するような過度の無関心な態度というものも正しいとはいえないと今は考えている。家内が言うには、子供に対する無関心は、児童虐待にも匹敵すると。過剰な愛や子供に対する暴力よりも、無視する態度の方がひどいと主張する。

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