秘教日記

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新しい時代に人は大いなる目的を持つ。人類がイニシエーションの 道を発見し、それを辿ることになるということを、ハイラーキーは 予言しています。エベレスト登頂を成し遂げた人々が出現したことは、 ハイラーキーの予言が正しく実現される証しです。世界最高峰登頂の 出来事は、イニシエーション達成の予兆となっています。

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閉じ籠りに寄せて:息子よ(29)

2019年08月29日 · コメント(0) · 日記

家内は、子供に対する私の過度の無関心は、私自身が子供の頃に、親からの愛情を十分に受けてこなかったことからきていると指摘した。一人っ子で育てられた家内と、五人兄弟姉妹の末っ子として育てられた私を比較すれば、親から寄せられる関心の程度の違いがあるのは当然であろう。愛のあり方を知っているというつもりはないが、関心の深さと真の愛は、似ていて異なるものであると私は考えている。真の愛のあり方は、一概には決められないが、子供に対する強い関心ではないのではあるまいか?人間の成長とともに、愛の理解の仕方も変化していく。私たちは、真の愛について、時々考えて見る必要があるのではなかろうか?
確かに、私は親の関心を得たいという潜在意識からの衝動があり、そして、その衝動とともに、自分の子供に対してあまり関心を持たないという、自分を育ててくれた親と類似した思考習慣がある。私は、あまり関心を持つことなく育てられたことを学生の頃は、恨めしく思っていたが、家内と結婚する頃には、その方が却ってよかったと考えるようになっていた。家内はそんな私にイライラしつつ、自分の親から注がれた愛情(それが私には、執着の愛と思われたのだが)と同様に、いやそれ以上に、長男である息子に過度の関心を寄せていたと私は考えている。
○○クリニックでは、引きこもりの子供を抱えている親たちのグループによるミーティングが毎週開かれていて、私と家内は二人で、三、四回それに出席した。そして自分が体験したことを皆さんの前で吐露すると、なんとなくほっとする。なにかしら重荷から解放されるような気がするのであった。
しばらくして、○○クリニックには、家内は行かなくなり、私と退院したての息子だけで出席するようになった。とくに決められている行動とか作業があるわけでなく、時にはみんなで近くの公園にでかけてキャッチボールやバトミントンをした。外に出かけない時は、私は部屋の隅のソファに腰かけて、部屋の書棚においてあるマンガの本や精神科医の西村さんによって書かれた「今日一日のアファーメーション」という本などを読んですごした。
息子は、トランプをするグループに加わって一緒に七ならべや大富豪などのゲームを楽しんだ。
昼食時には、病院が出してくれる食事を皆で味わった。このように過ごしても、食事代は、健康保険で賄われるのである。

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