最近のニュースで報道される犯罪事件は、カーとなって
怒りにまかせて凶悪化したと思われるものが多くなって
いると感ずるは私だけであろうか?
一方では、スーパーボランティアの人が話題となった
り、日本を観光で訪れるた外人さんが、”ホテルに財布
を忘れたのに、自国まで届けてくれた。日本は素晴らし
い国だ”という善意の行いが話題となっていた。
悪意と善意の二極化を見る。こうした事件報道に接す
ると40年前にBCが私たちに告げていた次のような話
しを思いだす。
”この時代んはユニークな時代で、人類は急速に進歩
し、この時代の末ごろには、大部分の人が光明を得て次
のステージに進みます。恐らく人類の三分の二の人たち
は次の段階に進みます”。
その時、誰かが”残りの三分の一の人々はどうなりま
すか?”と尋ねた。
”残りの三分の一の人々は、次の還期までまわされる
でしょう”。
私の理解するところでは、生命の大車輪が何十万年か
けて一巡りするのですが、三分の一の人々は次の巡りの
時まで据え置かれるということです。
次の巡りの時には、イニシエーションの道は一層困難
になっているだろう。
これは私の個人的な推測で確認する方法はありません
。
”怒り”について。最近の兇悪犯罪の報道を耳にする
と、あまりにも短絡的に爆発的行為が多いような気がし
ます。あおり運転・埼玉県大宮市の児童殺害事件などは
、自分の怒りの感情を爆発させ、感情をコントロールで
きない人々が増えていて、二極化の顕れを感じさせます
。
二極化
2019年09月22日 · コメント(0) · 日記
タグ : 善意
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