話しは、比叡山から離れますが、最初に比叡山延暦寺の開祖最澄と高野山金剛峯寺の開祖空海は絶えず並び称され、比較されているので、空海の話しから始めます。
平安時代の世界に誇れる有名な宗教家として、私たちは空海の名前をまず思い浮かべる。空海は弘法大師としても名前が知られ、私の生まれ故郷の近くにも大きな弘法さまの立像がつくられていて、毎年弘法さまのお祭りの日に子供たちにお菓子がふるまわれた。だから、弘法さま:空海はなじみ深いお坊さんである。
それに、~~大師と名付けられていて、後年神智学を学ぶことになって、リードビータ著/仲里誠吉訳/大師への道という本を読んで、空海は覚者になって私たちを見守っている、と考えていました。
しかし、ベンジャミン・クレーム著/石川道子訳/マイトレーヤの使命第Ⅲ巻の補遺に世界の主な著名な人の光線構造とイニシエーションの段階が覚者から提供されており、それによると空海のイニシエーションの段階は2.0、最澄は1.8と示されている。つまり、空海は大師と呼ばれていますが、覚者方のように”七つの道の一つを選んで地球に残って地球人類を導くことを選んだイニシエートというわけではありません。大師という呼び名は紛らわしいですね。空海と最澄のイニシエーションの段階の違いは0.2。
空海は、イニシエーションの段階から、覚者となっているのではなく、弟子の一人として、メンタル界にいて私たち日本の人々を見守っている、とBCは伝えていた。
私が言いたいことは、空海は霊力に優れ、民衆の間に様々な奇跡的行いが伝承されていて、最澄よりも有名ですが、最澄はそれほど庶民に名前が知られていません。
しかし、後の時代:鎌倉時代のおおくの学僧は比叡山延暦寺で学びました。日蓮・法然・親鸞・栄西・道元・等主要な仏教宗派の開祖たちは高野山よりも比叡山で学んだということ。霊力よりも大きな影響力を与えたかもしれない。その意味を考えてみたい。
ブラタモリ(比叡山編)を見て
2019年10月15日 · コメント(0) · 日記
タグ : 七つの道
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