ここでは夫婦が共同し、一つの目的を達成する中で自分自身に光を当てていく作業であり、自己啓発であった。日常よりかけはなれた行動を通し、問題点をみようとするものである。一度だけ息子と一緒に面談に出かけた折に、車から降りようとしない息子を、先生は迎えに来て、面接室まで同行して下さり、丁寧に息子の話を聞いてくださった。「親が悪い。親が変われば俺も変わる」と「息子のわがままは到底受け入れられない」との平行線で、会話の糸口が見つからなかった。A先生とは、夫の病気で中断してしまうことになる。
平成六年。この年は実に多くのアクシデントに見舞われた。三月には、後でも触れることになるが、私が息子に肋骨を三本折られ、一ケ月実家で静養、食事を息子の所へ運べなくなる。娘はこの年、高校受験、一人で弁当を作って通学し、入試にいどみ、奮闘していた。希望校への入学ができたことが唯一喜べるものだった。まだこの時期は、息子の問題行動を何とかしなければと表面的なことばかりの対処にとどまり、真の問題から目を逸らし、息子からも問題からも逃げていた。誰か助けてください。警察でも、医師でもいい、神様仏様、私に手を差し延べて欲しいと切望し続けていた。
娘が「警察の世話になるくらいなら、私が弟の面倒を見るから」と、入学を機に息子の住む家に入った。M病院の先生は子供さんを巻き込んでいけないと言われたが、他に適任者もなく、娘にすがった。私は骨折も治り、食事の運搬役のみとなるが、一ケ月半ほどで娘は疲れ果て、息子の住む家を出ることになった。息子の対応で気を取られ、娘の存在がかすんでいた。娘もこれ以上親に心配をかけられないとの思いから、自分のことは何も訴えなくなっていた。娘も少しずつ学校へ行かれなくなり、家の中で山田カマチの本を夢中で読んでいる姿が眼に浮かぶ。娘も孤独な中に置き去りにされていた。
閉じこもりについて(9)(家内の手記の続き)
2019年11月28日 · コメント(0) · 日記
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