秘教日記

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新しい時代に人は大いなる目的を持つ。人類がイニシエーションの 道を発見し、それを辿ることになるということを、ハイラーキーは 予言しています。エベレスト登頂を成し遂げた人々が出現したことは、 ハイラーキーの予言が正しく実現される証しです。世界最高峰登頂の 出来事は、イニシエーション達成の予兆となっています。

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安楽死について

2019年12月30日 · コメント(0) · 日記

再びこのテーマについて考えます。土曜日(12/28)の午後3時すぎNHKスペシャル選「彼女は安楽死を選んだ」というドキュメンタリー番組をみました。この番組は二度目です。主人公の思いが今回の方が強く私の心に響いてきたのかも知れない。番組の最初から最後まで、一時も目を離すことができなかった。番組の紹介文は次のようです。
“2018年、一人の日本人女性が、スイスで安楽死を行った。女性は重い神経難病を患い、自分らしさを保ったまま亡くなりたいと願っていた。患者の死期を積極的に早める安楽死は日本では認められていない。そんな中で、民間の安楽死団体が海外からも希望者を受け入れているスイスで安楽死することを希望する日本人が出始めている。この死を選んだ女性と彼女の選択と向き合い続けた家族の姿は、私たちに何を問いかけるのか見つめる”。

私の個人的見解は、生死は可能な限り自然に任せるべきだ、という考えです。たとえ、周囲の人々を煩わせることになろうとも、苦痛に耐えて天寿を全うすることが、周囲の人々を含むその人のグループの魂の意図:つまり神の意図かもしれないと私は考えています。
カトリックの教えには“十大重罪”と呼ばれる重い罪があり、その中に「自殺」が含まれている。自殺と安楽死は微妙に異なるが、精神的苦痛から逃れるために、死を積極的に選択するという点で同じかもしれない。自殺という選択をした人は、生まれ変わりの生涯で、困難に遭遇したとき、再び自殺を繰り返すかもしれない。キリスト教の教義が自殺を罪の中でも重い罪にしているのは、そのためかもしれない。
秘教の教えでは、人の生涯には“過去のカルマ的負債の償還”という意味もあることを説いている。だから、苦痛・苦悩に耐えることは、借金の返済が終わることとして、喜ぶべきことなのであある。但し、一つの生涯で償還するにはあまりに過酷なとき、いくつかの生涯に分散するのもありかな、とも思います。いずれにせよ、生命の在り様は全てを見通すカルマの主方に任せたい。償還が果たせたと感じられるようになってから、”死からの解放”を実践したい。

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