子供の頃、母親がイワシの頭を串にさして、その串をヒイラギのトゲトゲの葉ッパで飾りつけ、玄関先と裏口の柱にひもで結びつけた。“何のことか?”と尋ねると、それは、泥棒除けのまじないだと云う。子供心に“そんなことで、泥棒除けになるものか!単純だなー”と思いました。諺に云う。“イワシの頭も信心から”と。
“昔、節分の夜に鰯の頭を柊の枝に刺して門口に飾っておくと、鰯の臭気が邪鬼を追い払うといわれていたことからできた言葉。
日本には、科学的根拠のない、ダジャレのようでも真面目に信じている人を多数見かける。例えば、ノミの市で、商売人たちが商売繁盛を願って竹製の熊手の飾りを競って購入する。本来の熊手は落ち葉や大きなゴミを掻き集めるための道具であるが、ノミの市で売っている熊手の飾りは、お金を掻き集めるように、商売が繁盛して大儲けできますように、という意味のものである。最近では、コアラの糞や山岳鉄道の線路にSLの車輪が滑らないよう蒔く滑り止めの砂をお守り袋に入れて受験生に配っているのを見かける。受験生は入学試験にスベラナイとかけているのである。科学的考え方になじんでいる私たちは“ナンテ単純なんだ!”と考える。単純な信心と言えば、医学者が偽薬を本物の薬と偽って患者に投与すると、その偽薬を服用した人の中には、それで病気が治ってしまう人もいる。これをブラシーボ効果という。単純なマインドの持ち主でなければそんなことは難しい。しかし、注意深くこの現象を考えてみると、マインドの信念は、それに応じたエネルギーを引きつけ、イメージした状態をもたらすかもしれない。マインドの信念は、私たちが未來において、神の創造活動に参与する可能性を示めしている。
“・・・わたしは素朴(シンプル)な男である。
そしてあなたがたに素朴に嘆願する。
わたしを信じて、従いてきなさい。
愛に基づき、
同胞愛に基づく未来へ、・・・“
(マイトレーヤからのメッセージ第4信より)
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