秘教日記

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新しい時代に人は大いなる目的を持つ。人類がイニシエーションの 道を発見し、それを辿ることになるということを、ハイラーキーは 予言しています。エベレスト登頂を成し遂げた人々が出現したことは、 ハイラーキーの予言が正しく実現される証しです。世界最高峰登頂の 出来事は、イニシエーション達成の予兆となっています。

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「秘教治療」の記事から(2)

2020年03月10日 · コメント(0) · 日記

はじめに
昨日の記事は分かりにくいかもしれない。でも、”大切なこと”と述べられていました。その大切なことというのは、”原初の原因は同じである。そしてパーソナリティにおけるその影響は注目の焦点、生命の強調点がどこに置かれているかによって異なっている。これについて深く考えなさい”とありました。今日はその続きです。
やや長い文ですが、参考になると信じます。

”・・・この「注目の焦点」という言葉を用いたとき、私はメンタル的態度とか注意深いマインドではなく、人体の部位、人体の様相への方向性を持つ生命フォースの衝撃について言及したのであった。その部分に差し向けられた生命エネルギーは行く。ジャーム(病原菌)は小さくても、大きくても、生きた有機体である。彼らは生命フォースという媒体を使って人間のメカニズムの中に侵入する。その生命フォースも、心臓と血流を分配の道具に用いている。同様に、意識のエネルギーは神経システムと脳をその分配の道具として用いている。生来的もしく遺伝された弱点があると、そこに生命フォースは適切に焦点を作ることができず、ある種の充血、ある種の発達阻害、病気への傾向が見られるようになる。このような場合に、ジャーム(病原菌)の発生する居場所がある。そこで病原菌は悪さをすることができる。活力があって生命フォースが障害なく自由に循環しているなら、こうした傾向は存在せず、病原菌は居座ることはできない。そして感染の恐れもなくなるだろう。 たとえば、しょう紅熱は伝染病であるが、それに感染した人すべてが発症するわけではない。伝染病の感染を免れ、それに対する免疫を得ることができるのは、主として活力があるかないかの問題である。(たぶん、注目の焦点と生命フォースの強調点が見出される肉体の特定部位における活力)。それは血球の活力に基づいてもいる。血球は血流を良好な状態に保つのに役立つ。
この焦点と強調点は動物たちに関しても同じである。というのは、それはマインドの焦点ではなく、肉体内の生命エネルギーの焦点であるから。この焦点が存在し、積極的である時には、肉体を保護する。それが消極的となっていて弱々しいときには、(動物であれ人間であれ)肉体を感染病の危険に晒す。
私はこれ以上に詳しく説明することはできない。というのは、病気の起源と治療法の問題は、人間が現在のメンタル的アプローチ(取組方)と苦痛と病気に対する情緒的反応にとどまっているかぎり、そして人間が形態生活に同様の過度の強調を置いているかぎりは、解きがたい問題のままである。よりよいバランス感覚が発達し、人間が魂、目的、運命という言葉で考え始めるとき、その時には、病気は、私たちが知っているように、以下の二つの主要な範疇に分けられるだろう。即ち、
1.地上における生活を継続させる準備として、浄化を  もたらし、肉体の再調整と休息の期間を必要とする  もの。
2.(生き生きとすることと意識という)二つの様相を  持つ魂の引上げ、即ち抽出をもたらすもの。

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