TVの報道番組はどの局もコロナウィルス感染の現状と、総理の緊急事態宣言によって、七つの都府県に住む人々の混乱した心・不安な気持ち・恐怖感が表明されていることを伝えていた。“正しく怖れる”と言われているように、怖れることなく、“自分はコロナウィルスに感染はしないだろう”とか“コロナウィルスに感染したとしても重症化することはない”とタカをくくっている若者が、陽性であるにも拘わらず、症状が出ずに外を出歩いてウィルスをばら撒くかも、というのは、正しく怖れていない。しかし、過度に怖れて自分を守ることを第一に考え、買い占めに走り、自分が感染していないという保証を何が何でも得たいがため、悲鳴にも似た声をSNSで訴える人もいる。これは正しく怖れていることにはならない。この混乱した恐怖心はどこから来るのだろう? 恐怖感について、主マイトレーヤはどのように述べているだろうか?
以下は主のメッセージからの引用である。
“・・・わたしはここに居る。 だから、我が愛しき者たちよ、 わたしを迎え入れ、わたしと共に働き、 人類を覆う恐怖と無知の霧を晴らす用意を整えておきなさい。 ・・・“(メッセージ第22信より)
“・・・もしあなたがたがわたしに仕え、世界に仕えるならば、 我が友よ、わたしがここに居ることを伝えなさい。 そうすることで、希望という確かな壁を築くことができる。 それに対して恐怖の潮は空しくはね返される。 わたしの祝福をあなたがたすべてに与える。 ・・・“(メッセージ第69信より)
“・・・あなたが恐怖の思いから解放されるのを感じるとき、 あなたの信頼の思いを知るとき、 それがわたしにとって、どれほどの喜びであるかを知ってほしい。 ・・・“(メッセージ第73信より)
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