私にヨガの手ほどきをして下さった師匠は、ある時こん
な話をしてくださった。“吾仏を憶念すれば、仏吾を憶念
する”と親鸞は言った。こんなことも言っている。“唯可
信心高僧説”と。“意味は、高僧というのは今で言う覚者
のことで、覚者の説くことは、今の私たちには理解できず
、信じがたい事柄だが、奥深い意味を秘めている。理解で
きなくても言われたことを実践することが、志向者には大
切だ”。
今になって考えてみると、説かれたことの意義は分から
ないし、そんなことを行ったとしても、全く無駄なことだ
と、話しを聞いた当時は思いましたが、瞑想を続け、祈り
の効果を知ると、あの言葉は本当に大切なことを伝えてい
たのだな、と思うことしきりです。
“吾仏を憶念すれば、仏吾を憶念する”ということばは
、私が思春期を過ごしていた頃、恋愛していた相手のこと
を思っていると、相手の人も自分のことを思っているとい
うことをある時発見しました。そして、容貌をはっきりと
イメージできるイエス覚者やその他の覚者のことを想いな
がら瞑想すれば、それ等の覚者からエネルギーを送ってい
ただけることが分かってきました。
イエス覚者の容貌は道の探究者たちに、知られている。
私たちは祈るときに、覚者の容貌やお姿を思い浮かべる。
すると、高僧である覚者方も私たちのことを思ってくださ
る。
祈りの科学の要め
2020年04月24日 · コメント(0) · 日記
タグ : 志向者
コメント (0)
コメントはまだありません。